聖護院門跡・富士山峯入り修行/村山古道ツアー
富士山で最古の登山道がひらかれたのは12世紀半ば。末代上人が富士山に攀じ登ること数百度、山頂に大日寺を構えふもとの村山には大日堂を建てたと伝えられています。そのご戦国時代には今川義元から村山修験の自治権が認められるまでに発展します。それが祟ってか徳川幕府からは疎まれつづけ、明治初年の廃仏毀釈によって壊滅的な破壊を受けます。しかも明治末には大宮新道が開かれたため、村山古道も荒れ果ててしまいます。
戦後は昭和の終わりごろ、富士宮市郷土史同好会と村山の人たちの手によって村山古道の再発掘されました。ところが1996年の風台風でふたたび封鎖。さらにその後、2004年になって畠堀らは地元の人たちの協力を得て、笹を押しのけ折り重なる倒木を片づけました。08年には村山での富士山入山式の翌日、聖護院の山伏10人が村山古道を登りました。山伏の法螺の音が響き渡るのは70数年ぶりのことでした。
そして2011年8月、京都は本山修験宗総本山 聖護院門跡(もんぜき)から草分俊顕師を先達として迎え、富士山峯入り修行が復活したのです。
初日は海抜0メートル、田子の浦・鈴川海岸での水垢離のあと、富士塚や旧東泉院など修験ゆかりの地で勤行しながら村山・大日堂まで20キロ、2日目は中宮八幡堂や笹垢離跡など破壊された石仏を供養しながら標高差2000メートルを一気に登り、3日目は山頂・廃仏毀釈石仏の寄せ墓地で柱源(はしらもと)護摩供を行って下山するという厳しいものです。
(静岡県富士山世界遺産センターで上映中の「地の巻」で動画を見ることが出来ます。)
なお4年前に予定した第10回記念登山は、それまでの日程を1日延ばして3泊4日とし、御殿場に下って御殿場・須山両市内の拝所を巡って三島に出る企画でした。これは1935年(昭和10年)ごろまで村山修験が回っていたコースで、準備段階から裾野市一帯では80年ぶりに法印さんの法螺が聴けると期待が高まっていました。しかしコロナ禍のため3回延期となり、昨年ようやく実現しました。
これは参加された方には好評でしたが、仕事を持っている現役の人にとって4連休というのは厳しく、今年からまた2泊3日のコースに戻します。